はじめに
「SaaS is Dead」そんなナラティブが、NHKや日本経済新聞などの主要メディアでも語られるようになっています。
2月末以降、SaaS企業の株価は一日で20〜30%下落するような乱高下が続き、投資家もスタートアップも急速にざわつき始めました。しかし、この議論は本当に正確なのでしょうか。センセーショナルな言葉が一人歩きしている今だからこそ、10年以上SaaSを追い続けてきたVCの視点から、地に足のついた整理が必要です。
今回は、ファーストライトキャピタルの岩澤と、SaaSリサーチのスペシャリストであるチーフアナリスト早船が対談します。「SaaSがバブルだった時も、データに基づいて情報発信してきた。今こそ空中戦ではなく、現場感覚から語らなければいけない」そんな問題意識が、この回全体を貫いています。
※この記事はポッドキャスト「VIVA VC」シーズン3第1回をもとに作成しました。番組では、「SaaS is Dead」という議論の本質と日本市場の特殊性、そして生き残るプレイヤーの条件について、さらに詳しく語っています。ぜひお聴きください。
「SaaS is Dead」とは何か——騒動の震源地を整理する [05:17-10:07]
まず前提を確認しておきましょう。SaaS(Software as a Service)とは、かつてのCD-ROMインストール型パッケージソフトから、クラウド・ブラウザベースへとシフトした、ソフトウェア提供の仕組みです。マネーフォワード、freee、Zoom、Salesforce——今や私たちの業務の多くがSaaSで成り立っています。
その前提を揺さぶったのが、AIエージェントの急速な進化です。「AIエージェントに打ち込めば自動でやってくれる」という感覚が法人向けソフトウェアにも波及し、「既存のSaaSはもう要らないのでは?解約できるのでは?」という懸念が広がりました。
直接的な引き金となったのは、AnthropicのCoworkです。専門知識が必要な業務の自動デモ画面に注目が集まり、2月末からSaaS関連株の急落が相次ぎました。岩澤はその背景をこう補足します。「Cowork自体は1月初頭に出ていたが、その後半に登場したエンタープライズサーチなどのプラグイン群が、既存SaaSプロダクトをすべてリプレースするのではという危機感に火をつけた」。
この2年ほど「SaaS is Dead」という議論はくすぶり続けていましたが、「まだ実際にそういう製品は出ていないよね」という温度感でした。それがいよいよ画面越しに実演として可視化されたことで、投資家もスタートアップも、急速に現実感を持って受け止めるようになったのです。
良くも悪くも日本市場ではSaaS is Deadは起きづらい [10:08-12:28]
早船の見立ては明快です。「良くも悪くも、日本ではSaaS is Deadは起きづらい」。
AIが優れたテクノロジーであることは疑いありません。しかし、日本社会がこれまで新技術を柔軟に取り入れてきたかといえば、答えはノーです。テクノロジー導入における慣性の法則——組織的な抵抗、現場の習熟不足、硬直した意思決定——が根強く残っています。
アメリカであれば「HR部門を1,000人削減してAIに置き換える」という大胆なリストラクチャリングが実行されうるでしょう。しかし日本では、人事・ソフトウェア・開発のいずれの面においても、それほど機動的な動きは難しい。「その土壌も含めて、なかなかSaaSが今日明日で死ぬようなことはない」と早船は言います。
ただし、これはポジティブな話だけではありません。変化への適応が遅いということは、より良いテクノロジーへのシフトも遅れることを意味します。「良くも悪くも」という言葉には、そのアンビバレントな現実が込められています。
「4割は死ぬ」——投資家目線の冷徹な読み [12:29-16:14]
一方、投資家として見る岩澤の視点はより厳しいものです。「日本においても、4割くらいはなくなるのではないか」。
その根拠はシンプルです。過去10年のグローバルSaaSの流れを振り返ると、後半になるほど「Nice to have(あったら便利)」なプロダクトが増えてきました。VCの世界では古くから「Must have(なくては困る)」か「Nice to have」かが生死を分けると言われてきましたが、AIの登場はその構図を一気に加速させます。
Must haveであるための条件として、岩澤は2つの要素を挙げます。
- 作業代替性:人間が数時間かけていた作業を30分で終わらせる、圧倒的な効率化
- ユニークなインサイト:ソフトウェア内に蓄積した独自データが、ユーザーに新たな知見をフィードバックする価値
このうち「作業代替性」のみを武器にしてきたプレイヤーは、AIに代替されるリスクが高いと言えます。「ちょっとしたツールで何かを楽にするだけのプロダクト」は、特に入れ替えられやすい。
加えて、UIUXの陳腐化も問題です。昔ながらのハンバーガーメニューを押して画面を操作するという設計は、「自然言語で話しかければAIが返してくれる」という新しいUX観とは根本的に相容れません。「特に日本にはそういうSaaSがまだ大量に残存している」と岩澤は指摘します。

ファーストライト公式HP「【図解】Must have SaaSの方程式」より
「SaaS is Dead」が盛り上がる本当の理由 [16:15-17:31]
興味深いのは、SaaS業界の内側にいる人間ですら「嬉しそうにSaaS is Deadと言っている」という現象です。なぜこれほど熱を持って語られるのでしょうか。
岩澤はこれを「産業革命への期待」と読み解きます。インターネット登場以来、クラウドの台頭(2010年代)ですら産業革命と呼べるほどのインパクトはありませんでした。しかし今回は、「インターネット登場以来のインパクト」という期待があります。その期待値に対するワクワク感が、この論調を生み出している、というのです。
生き残るプレイヤーの条件——「データ」と「新しいUIUX」への二極化 [18:25-22:17]
では、次世代を生き残るのはどんなプレイヤーなのでしょうか。岩澤は2つの軸を示します。
① ユニークなデータを磨くプレイヤー
AIエージェントがUI/UXを代替したとしても、蓄積されたデータの独自性は奪えません。たとえば建設業界に特化したSaaSが持つ「職人の業務フローデータ」は、OpenAIもGoogleも持っていないデータです。「ChatGPTもClaudeも、ウェブ上のデータを参照することはできても、現場から積み上げられたデータには手が届かない」(早船)。
AI時代になればなるほど「信頼に足るデータかどうか」の判断は難しくなります。だからこそ、業界固有の高品質なデータを持つプレイヤーの価値はむしろ高まっていくのです。
② 「新しい時代のUIUX」を設計するプレイヤー
一方で、「誰が触ってもAIの機能を最大化できる」インターフェースを構築できるプレイヤーも生き残ります。プロンプトの打ち方一つで作業効率が変わる今、操作の「民主化」を実現できるかが問われています。
過去のUI/UXへのサンクコストを捨て、一から最適なあり方を設計できるかどうか。「経路依存性を思い切って捨てられるかがポイント」と岩澤は言い切ります。
業界の地殻変動——エンタープライズの壁とM&A加速 [22:23-24:42]
全体を俯瞰すると、大手企業(エンタープライズ)向けに基幹システムとして組み込まれたSaaSは、簡単にはリプレースされません。「日本のIT屋さんのほとんどがそこにいる」という現実もあります。この層とAI時代のプレイヤーがどう共存するかは、今後の大きなテーマです。
また、淘汰の加速に伴い、M&Aによるコングロマリット化も進むと岩澤は予測します。本社機能や営業機能を共通化した「メガSaaSスタートアップ」が合従連衡で生まれてくる可能性は十分あります。2020年代前半のSaaS IPOブームが落ち着いた今、M&A件数はすでに急増しており、その流れはさらに加速しそうです。
おわりに
「SaaS is Dead」という言葉は、センセーショナルですが正確ではありません。正確に言うならば、「Nice to haveなSaaSは死に、ユニークなデータと次世代UI/UXを持つSaaSは進化する」です。
「SaaSというラベルを超えて、今本当に何が求められているのか——トレンドではなく、ユーザーを見て、技術を見て、そういうことを話し続けたい」。
AIの話をしているようで、問われているのは結局「ユーザーにとって本質的な価値とは何か」という原点です。この問いは、SaaSが登場した瞬間から変わっていないし、AIが登場した今も変わりません。
日本のSaaS業界がこの転換期を飛躍の契機にできるか——それはトレンドへの追随ではなく、本質への回帰にかかっています。
※この記事はポッドキャスト「VIVA VC」シーズン3第1回をもとに作成しました。番組では、「SaaS is Dead」という議論の本質と日本市場の特殊性、そして生き残るプレイヤーの条件について、さらに詳しく語っています。ぜひお聴きください。
執筆 : 岩澤 脩 | ファーストライト・キャピタル 代表取締役・マネージングパートナー
編集 : ファーストライト・キャピタル | リサーチ・チーム
2026.3.23
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