
はじめに
2025年9月、みずほ銀行がフィンテックスタートアップ「UPSIDER」の株式を約460億円で取得したというニュースが、日本のスタートアップ業界に大きな衝撃を与えました。
これは単なるM&A(合併・買収)ではありません 。IPO(新規株式公開)のハードルが上がる中、多くのスタートアップとベンチャーキャピタル(VC)が新たな出口戦略を模索する中で行われた、VCなどが保有する株式を取引する「セカンダリー取引」という手法が用いられました。
今回は、この歴史的なディールを深掘りし、日本のスタートアップエコシステムとセカンダリー市場の未来にどのような新しい可能性を示したのかを解説します。
※この記事はポッドキャスト「VIVA VC」シーズン2第9回をもとに作成しました。番組では、このディールの背景やVC業界の構造的課題についてより詳しく語っています。ぜひお聴きください。
「スイングバイIPO」とは?歴史的ディールの内側[03:41-06:02]
今回の取引の中心であるUPSIDER社は、「挑戦者を支える世界的な金融プラットフォームを創る」をミッションに、AI与信技術を駆使した法人カード事業で急成長を遂げたスタートアップです。
今回の取引の最大の特徴は、みずほ銀行が支払った460億円が、創業者や従業員ではなく、既存株主であるVCなどから株式を買い取る「セカンダリー取引」であった点です。UPSIDERの企業価値は657億円と評価され、経営陣や従業員の株式・ストックオプションはそのまま残りました。
彼らは今後もIPOを目指しており、この手法は「スイングバイIPO」と呼ばれます 。これは、一度大手企業のグループに入ることで事業成長を加速させ、その勢いを借りて改めてIPOを目指すという、新しい形の出口戦略です。

PR TIMES「みずほ銀行によるUPSIDERホールディングスの株式取得について」より
なぜ今メガバンクが?金利上昇が生んだ投資余力[06:03-09:00]
メガバンクであるみずほ銀行が、なぜ今これほど大規模なスタートアップ投資に踏み切ったのでしょうか。その背景には、「金利の上昇」というマクロ経済の変化があります。
銀行は預金者から預かったお金を企業に貸し出すことで利益を得ており、金利が上昇すると貸出金利と預金金利の差(利ざや)が拡大し、収益性が向上します。数十兆円規模の貸出を行うメガバンクにとって、わずかな金利上昇でも巨額の余剰資金が生まれるのです。
この潤沢な資金の新たな投資先として、みずほ銀行はスタートアップ向け金融サービス市場に注目しました。UPSIDERとの連携により、これまで開拓が難しかった成長企業との接点を一気に獲得できるという戦略的な狙いがあったのです。
20社のVCをまとめた「針の糸を通すような」合意形成[09:05-16:02]
このディールが「歴史的」と言われるもう一つの理由が、その実現の困難さです。UPSIDERには20社弱ものVCが出資しており、株主全員の合意を取り付ける必要がありました。
VCの投資契約には、株主の利害を保護するための様々な権利が複雑に絡み合っています。
- 先買い権
ある株主が株を売りたい時、他の株主が優先的に買い取れる権利。 - 共同売却権
一部の株主が売却する際、他の株主も同じ条件で一緒に売却できる権利。 - ドラッグアロング権
多数派の株主が売却を決めた際、少数派の株主も強制的に売却に参加させられる権利。
これらの複雑な権利関係を一つずつクリアし、昨年末の交渉開始からわずか7〜8ヶ月という驚異的なスピードで全VCの合意を形成したことは、まさに「針の糸を通すような」至難の業だったと言えるでしょう。
VCの「ファンド満期問題」とセカンダリー市場の重要性[17:11-17:44]
この取引は、VC業界全体が抱える構造的な課題にも光を当てました。それは「ファンド満期問題」です。
VCは投資家からお金を集めて「ファンド」を組成し、その多くは10年という運用期限が定められています。しかし、日本のスタートアップがIPOするまでの平均期間は約10.5年であり、ファンドの満期までにIPOが間に合わないという構造的なミスマッチが存在します。
IPOのハードルが上がっている現在、VCは満期前になんとかして投資先企業の株式を売却し、投資家に資金を返還しなければなりません 。そこで重要になるのが、IPO以外の方法で株式を売買する「セカンダリー市場」です。
日本らしいセカンダリー市場の夜明け[17:45-20:30]
海外ではセカンダリー取引専門のファンドが存在感を増していますが、日本ではまだ市場が未発達です。今回のディールが画期的なのは、その買い手が海外の巨大テック企業ではなく、日本の伝統的なメガバンクであった点です。
これは、米国モデルの模倣ではない、日本独自のスタートアップエコシステムの進化を予感させます。今回の成功事例をきっかけに、他の日本の大企業もセカンダリー市場の新たなプレイヤーとして参入する可能性があり、日本のスタートアップにとって出口戦略の選択肢が大きく広がることになります。
おわりに
今回のみずほ銀行によるUPSIDERの案件は、複雑な利害関係を乗り越え、日本のスタートアップ史に残るディールを短期間で実現させた、すべての関係者の努力の結晶です。この貴重なノウハウが、次世代の起業家や投資家に継承されていくことを強く期待します。
金利上昇というマクロ環境の変化が、思わぬ形でスタートアップエコシステムに新しい可能性をもたらしました 。出口戦略の多様化は、業界全体の健全な発展に不可欠です。今回のケースが、日本におけるセカンダリー市場本格化の先駆けとなることを願っています。
※この記事はポッドキャスト「VIVA VC」シーズン2第9回をもとに作成しました。番組では、このディールの背景やVC業界の構造的課題についてより詳しく語っています。ぜひお聴きください。
執筆 : 岩澤 脩 | ファーストライト・キャピタル 代表取締役・マネージングパートナー
編集 : ファーストライト・キャピタル | リサーチ・チーム
2025.9.15
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