はじめに
かつて『攻殻機動隊』で描かれた「電脳化」の世界が、いよいよ現実のものになろうとしています。脳とコンピューターを直接つなぐ技術、「ブレインテック」が急速に実用化へと進んでいるのです。
これまでSFの世界の話だと思われていたこの技術は、AIの進化と共に爆発的な成長を遂げ、米国や中国ではすでに国家戦略レベルでの開発競争が始まっています。
今回は、次世代テクノロジーとして世界が注目するブレインテックについて、その最新動向と、この激動の市場で日本が勝つための戦略について考えていきます。
※この記事はポッドキャスト「VIVA VC」シーズン2第20回をもとに作成しました。番組では、ブレインテックの可能性と課題についてさらに詳しく語っています。ぜひお聴きください。
ブレインテックとは――SFが現実に近づく「電脳化」の正体[03:20-11:13]
ブレインテックとは、人間の脳とテクノロジーを融合させる技術の総称です。正式にはBCI(Brain-Computer Interface)と呼ばれ、脳の信号を読み取って機械を制御する技術を指します。
従来、脳の信号は非常に微弱でノイズも多く、正確な読み取りは困難とされてきました。しかし、ここ数年の生成AIやディープラーニングの劇的な進化により、状況は一変しました。AIが脳信号の複雑な「時間的パターン」を学習できるようになったのです。
例えば、2023年にNature誌で発表されたスタンフォード大学の研究では、ノイズを含む脳活動から1分間に62語の発話復元を実現しました。ディープラーニングが、脳信号を単なる「電気信号」から「意味を持つデータ」へと変換することに成功したのです。
これまでは医療分野での研究が中心で、本格的な産業化には至っていませんでしたが、今まさに急速な実用化へと動き始めています。
なぜ今、ブレインテックなのか?動き出した巨大市場[05:18-10:09]
2024年、OpenAI創業者のサム・アルトマンがブレインテック企業「Merge Labs」を立ち上げ、2025年5月にはAppleがBCI企業「Synchron」と共同で、脳内デバイスを用いて手を使わずにスマートフォンを操作するプロトコルを発表しました。イーロン・マスク率いる「Neuralink」も臨床試験を進め、体が動かせない患者が脳波だけでテレビゲームを操作できるようになるなど、実用化へ向けて着実に前進しています。
市場も大きく動き出しています。2025年3月には中国で侵襲型デバイス(外科手術などによって人体の内部にセンサーや機器を埋め込んで動作させる装置)の人体試験が本格化し、埋め込み後わずか2週間でゲーム操作が可能になったと報告されています。10月にはNeuralinkが世界初となる科学的査読を経た臨床データを発表。Bloombergによれば、同社は2031年までに年間2万件の脳チップ埋め込み手術を計画しているといいます。
CB Insightsによると、この分野への資金調達額も前年比3倍の8.7億ドルに急増しており、Precision Neuroscience社のFDA承認取得など、ブレインテック産業は「研究」から「商用化」へと本格移行する重要な節目を迎えています。
米中の覇権争いと「ニューロライツ」という新たな課題[11:14-17:35]
この分野でも、米中の覇権争いは激化しています。
中国は国家戦略として「中国脳計画(China Brain Project)」に約1兆円規模を投じ、2030年までにグローバル競争力を確立する方針を掲げています。上海の「BCI未来産業集積区」では医療、教育、軍事分野での応用が進められ、「脳信号で無人機や兵器を操作する」研究も公式に紹介されるほどです。
一方、民間主導で進むアメリカ(NeuralinkやSynchronなど)と国家主導の中国という構図は、技術だけでなく、倫理やデータ主権をめぐる次世代の主導権争いへと発展しています。
同時に、「ニューロライツ(神経に関する権利)」という新たな課題も浮上しています。思考が読み取られることによるプライバシー侵害への懸念に対し、特にヨーロッパでは保護の動きが強まっています。技術開発と並行して、倫理面・制度面での議論を深めることが不可欠です。

日本はどう戦うべきか?残された2つの「勝ち筋」[13:21-18:13]
正直に言って、デバイスや医療行為といった基盤領域では、日本は海外勢に遅れを取っています。しかし、アプリケーション層にはまだ十分なチャンスがあります。日本には、世界で戦える2つの強みがあるからです。
1. エイジテック(高齢社会×ブレインテック) 世界に先駆けて超高齢社会を迎える日本だからこそ、認知症や脳卒中後の運動機能低下に対応する技術へのニーズは切実です。高齢者が脳信号で身体機能を補う技術において、日本は世界をリードできるポテンシャルを秘めています。
2. エンタメテック(ゲーム×ブレインテック) 日本の強力なIPやゲームコンテンツとの相性は抜群です。「脳で考えるだけで敵を倒す」「念じるだけでキャラクターを操作する」といった体験は、eSportsに革命をもたらす可能性があります。ヘッドバンドやキャップ型などの低価格・低侵襲デバイスを入り口とし、ゲーム・エンタメに特化したBCIスタートアップが日本から生まれる可能性は十分にあります。
すでに、大阪大学発のスタートアップ「JiMED(ジーメド)」がワイヤレス体内植込型BCI医療機器の実用化を目指すなど、大学・公的支援・VCの連携も始まっています。ハードウェアでの勝負は厳しくとも、ソフトウェアなら勝機はあるのです。
おわりに
ブレインテックに興味を持つ起業家にとって、今は絶好のチャンスです。まだプレイヤーが少ないからこそ、先行者利益を得られる可能性があります。
生成AIやフィジカルAIの分野では、海外が商用化段階に入ってから日本が動き出すという「後手」感が否めませんでした。しかし、ブレインテックはまだ海外でも商用化の準備段階です。今ならまだ間に合います。
『攻殻機動隊』の世界では、電脳化が進んだ一方で、脳がハッキングされる事件も描かれていました。ブレインテックは計り知れない可能性をもたらすと同時に、新たなリスクも伴います。
だからこそ、早めに手をつけ、長期的な視点で日本の産業の柱に育てていく――その覚悟が今、求められています。ブレインテックは単なる技術トレンドではありません。人類の未来を形作る、まさに「電脳化」時代の幕開けなのです。
※この記事はポッドキャスト「VIVA VC」シーズン2第20回をもとに作成しました。番組では、ブレインテックの可能性と課題についてさらに詳しく語っています。ぜひお聴きください。
執筆 : 岩澤 脩 | ファーストライト・キャピタル 代表取締役・マネージングパートナー
編集 : ファーストライト・キャピタル | リサーチ・チーム
2025.12.1
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