日本のSaaSスタートアップ最前線で、Product-Led Growth(以下、PLG)に挑戦しているSpir。過去2回の記事では、創業の裏側とプロダクト開発についてSpir CEOの大山氏に語っていただいた。
※シリーズ記事は以下をご参照ください
第1弾:PLGモデルを実践するスタートアップの最前線ー Spir創業秘話
第2弾:【PLG】Spirが実践するプロダクト開発で重視する4つの原則
PLG連載企画の最終回となる今回は、PLGの肝となるフリーミアムやKファクターの設計、活用について伺うとともに、Spir立ち上げの経験を踏まえたDoとDon’tを整理した。(聞き手は、ファーストライト 大鹿琢也)
PLGの核心”フリーミアム”、有料化のツボをどこに設計するのか
大鹿:前回のインタビューでは、レッドオーシャン化した市場で後発的にサービスを提供することが多いPLGでは、カスタマージャーニーの設計を通じて”気持ちいい体験”をいち早く届けることが、競合サービスとの差別化につながることをお話しいただきました。また、既存のユーザーがサービスを利用していくとバイラルし、新規ユーザーを獲得できるグロースサイクルが自然と回っていくプロダクト設計が重要と理解しました。
こうしたユーザー獲得の先では、有料化を促していく必要があるかと思います。まずは、フリーミアムにおける有料化のプロセス設計についてお伺いします。
ーーSpirの場合は、カスタマージャーニーのプロセスの中で、どのように有料版を設けていますか。
大山:Spirでは、3種類のニーズがあると思っています。1つ目は個人で沢山使いたいヘビーユースのニーズ、2つ目は複数人で使いたいチーム連携のニーズ、3つ目はセキュリティ対策やログ機能を備えたエンタープライズ向け機能のニーズです。今はこの3種類のセグメントの中で、それぞれ従量課金のテーブルを設定していこうと考えています。
きちんとARPUやユーザー数が伸びてグロースしていくためには、特に複数人で連携して使うというコンセプトが鍵になると思うので、今後のプライシングを考える中ではそうしたサービス設計を意識しています。
一方で、まずは目の前でヘビーユーザーに向けて有料版を検討しています。Spirで分かりやすいのは、空き時間を自動抽出して公開できる「公開URL」です。いくつの空き時間を公開できるか、という条件が当てはまります。
1ヵ月に利用できる日程調整の回数も条件にできるかもしれませんが、これは悩ましいポイントです。無料版で日程調整できる回数を制限すると、ユーザーはその回数以内に収まるように利用頻度を抑制してしまいます。これは「日程調整をすればするほど楽になる」という、我々が目指すユーザーの理想的な姿と相反します。ですから「量」は制限せず、「機能」や「人との連携」に有料化のポイントを設定する方が、ユーザーの体験としてベターだと考えています。
幸いにも、Spirには先行サービスが存在するため、ヘビーユーザーが有料化してでも使いたいニーズは検証されたものが存在しています。例えば、リマインドメールなどのワークフローの自動化機能、送付する日程調整のURLやデザインのカスタマイズ機能などです。今後は、Spirでしかできないナレッジやアセットの共有とは何かを意識しながら設計していきたいです。
大鹿:Zoomでは無料版は40分まで、有料版は無制限といったユーザーにとって分かりやすく有料ポイントが設けられています。
ーー有料ユーザーへの移行も、プロダクトをベースにセルフサーブで進んでいくべきでしょうか。
大山:プロダクト自体で完結するパターンもあれば、お問い合わせをもらってカスタマーサクセスが提案するパターンもあると思います。PLGにとってのお問い合わせは商談です。The Modelにおけるフィールドセールスが担っていた顧客とのタッチポイントを、PLGではカスタマーサポート、カスタマーサクセスが担っているため、CSが売り上げをつくる部門になります。
お問い合わせが来た際に「無料のプランだとこれができて、有料にしていただくとこういった使い方もできます」というソリューションの提案ができると、ユーザーとしても気持ちよくプラン変更ができるのです。PLGとSLGでは、期待されている職能がかなり違ってくるのではないでしょうか。
PLG的成長指標”Kファクター”から見えたもの
大鹿:つまり、基礎となるユーザー体験の延長線上に有料ポイントを置くセルフサーブ設計と、プロダクトの高度な活用を促すCSによる提案の2点によって、有料化プロセスを構築できるということですね。
今度は、今後のグロースをどう企図していくか、それをいかに測っていくのか、について伺います。以前、大山さんのnoteで「期間内に既存ユーザーが連れてきた新規ユーザー数」を表すKファクターという指標について言及されていたかと思います。
ーーまずKファクターを用いる際に重要視した点を教えてください。
Kファクターとは
kファクターは「期間内に既存ユーザーが連れてきた新規ユーザー数」です。具体的には、Kファクター=「アクティベーション率×エクスポージャー×コンバージョン率」で算出されます。バイラル効果を改善、拡大していくためには、この3つのステップが正しく機能しているかことが最も重要です。
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大山:ユーザーがアクティベートしてプロダクトを使っていくと、きちんと潜在ユーザーに伝播(エクスポージャー)して、それがコンバージョンすることで、新規ユーザー獲得につながっていくというサイクルが回るサービス設計になっていることが、大前提として大事です。
その中でも特に、”気持ちよく使う”というアクションがグロースに繋がるようなKファクターの設計を意識しました。Spirで言えば、ユーザーは日程調整を主催すればするほど楽になり、結果として調整相手の人も喜んでくれてユーザーになるという、プロダクトが目指している提供したい価値と、グロースすることのベクトルが揃っていることが大事だと考えています。
大鹿:前回の記事でお話したプロダクト開発でも注力された”気持ちよさ”の体験・伝播を意識したということですね。
ーーKファクターの3つの指標(上スライド参照)を、具体的にはどのように活用していますか。
大山:今のところベンチマークできる数値はほぼ開示されていないため、それぞれ感覚値を頼りに判断している状況です。Kファクターを使う中で、現在課題と感じているのは、アクティベーション率とコンバージョン率です。
アクティベーション率は「登録ユーザーが日程調整を主催する割合」と定義していて、5割程度を目指していますが、現状はまだまだです。これは体験の蓄積による影響も大きいと考えています。Spirで日程調整が2,3回送られて来れば「自分もこれで調整する方が早いんじゃないか」と考え、アクションを誘因できるはずです。
コンバージョン率は「調整相手が確定プロセスから新規登録してくれた割合」と定義しています。送られてきた日程調整を確定する体験を通じ、Spirを便利だと感じてもらえるはずですが、それでも登録に至る割合は依然として高くないです。感覚値としては3人に1人ぐらいは登録して欲しいのです。まだ価値が届ききっていない、便利さが認知されていないといった課題を認識しています。
バケツに穴が開いた状態で水を入れないように、各ファネルの数値が高まった状態でプロモーションを促進したいです。登録ユーザーがきちんと日程調整を主催して、調整相手が登録して予定を確定し、その方がまた主催者に転換するというサイクルが回転し始めたらアクセルを踏んでも良いと思っています。
大鹿:ユーザーとしては、3つの指標の中でも、アクティベーションにハードルを感じました。自分がSpirユーザーではない場合、他のSpirユーザーから日程調整のURLが送られてきても、その1回きりの利用で完結してしまいがちです。そこから自分で主体的にSpirを利用し、日程調整のアクションをとるまでに距離を感じます。
大山:その通りで、自ら日程調整を効率化したいと思って登録したユーザーはよいのですが、調整相手として送られてきたURLから日程を確定するという受け身な体験の中で登録したユーザーの場合、主催者側の立場に転換して自ら日程調整を主催するというアクションを起こすまでの距離が遠いのです。どこかの時点・トリガーによって、行動変容が加速すると思いますが、特に日本では時間がかかりそうです。
そのため、英語版のプロダクトを早めにローンチし、他のサービスとフリーミアムで使い分けてもらうことも考えています。Calendlyは100億円程度の売上があるため、同じ市場でSpirの方が”気持ちよく使える”と感じてもらえれば、数十億円は見えているマーケットです。その後「アメリカで有名なサービスが日本製だ」という触れ込みで、逆輸入する形でのマーケティングも可能だと個人的には考えています。
もちろんリモートワークになって導入、活用は進みましたが、ユーザーからはまだまだ使いこなせていないという声もあります。例えば、せっかく日程調整のURLを送っても空いている日時をメールで返信されてしまったり、、、
SlackやZoomが市民権を得ていったように、徐々に変化していくのだと思います。日本でITリテラシーの高い人の半数以上が当たり前に使うという状態を目指すために、布教活動、啓蒙活動はしなければいけませんね。
大鹿:大規模なユーザーの行動変容を促すためには、大きなモメンタムをつくっていく必要があるというお話だと思います。
ーーそのモメンタムの実現をどのように仕掛けていくことができるでしょうか。
大山:あるビジネス系ツールのプロダクトを展開するスタートアップの方に聞いたのですが、「使い方が難しい」「イメージが湧かない」といった場合のマーケティングは、YouTubeやBlogなどでインフルエンサーの方に使い方の紹介をしてもらうのが効果的だったそうです。どうやったら日程調整が便利になるのか、うまくプロモーションしていきたいと思います。
また、日程調整には立場の強弱、すなわちパワーバランスがあると思っています。立場の強い側にSpirが使われれば、相手も必然的に使い始めるでしょう。パワーバランスが強い人から広げていくための戦略も肝になります。例えば、採用の際に企業側にSpirを利用してもらい、日程調整URLを人材エージェント・候補者に送ってもらう、というユースがあるかもしれません。
立ち上げ期のプロダクト開発で陥りがちな罠
大鹿:PLGでは、初期は地道なプロセスとなりますが、行動変容を促し大きなモメンタムを企図することで、その後加速度的な成長を狙うというモデルです。そのためにも、やはり初期のプロセスがとにかく重要になるかと思います。
ーー事業の立ち上げから現在までを振り返って、PLGにおいて「これはやるな」「これはやるべき」といったDoやDon’tはありますか。
大山:まず、プロトタイプ主導でのユーザーテストをもっとやるべきだったという反省があります。開発の計画や仕様を作ったらつい開発し始めたくなりがちですが、自分は欲しいと思ったのにあまり使われず、外した機能が沢山あります。
作ったものを戻したり捨てたりするのは非常に大変ですし、サンクコストになりやすいです。ユーザーテストを10人もやれば、開発すべきかどうかの判断は可能なので、できるだけプロトタイプで仮説検証すべきでした。最近はデザインツールも発展していて、例えばFigmaで作ったプロトタイプでもどんな体験になるか十分に検証可能です。
当時は、プロトタイプで体験を本当にテストできるのか懐疑的でした。体験の心地よさは、機能のような点での勝負じゃないからこそ、テストしづらいだろうと。しかし、今ではこれは言い訳に過ぎないと思います。開発するのに比べれば10倍速いはずなので、開発速度にこだわるのであれば、むしろプロトタイプをきちんと作り切るべきでした。
積み上げ型の機能開発はなぜだめか
大山:もう一つは、PLGの場合は積み上げ型で機能開発をしないということです。Spir特有の点もあるかもしれませんが、プロダクト画面が1画面なので、1度作ったものの影響範囲が非常に大きいです。なんとなく欲しい機能を追加で実装していくと、一瞬でレガシー化します。
例えば、現在のプロセスの中で1箇所順番を変えたいと思ったら、インターフェースを修正するだけでなく、場合によってはデータベースから変えなければなりません。理想形を描ききったうえで不必要な箇所は削ぎ落し、目の前で注力して開発する部分を決めていくのがベストでした。
大鹿:初期段階から将来性を加味した全体設計を考え、目の前の開発を位置づけていくというやり方ですね。
ーー非常に難易度が高い開発に思えるのですが、その実現のために、開発の場面ではどのようにコミュニケーションをしているのでしょうか。
大山:前回の記事でお話したジャーニーマップの作り込みとも関連しますが、目の前の開発だけに着目するのではなく、カスタマージャーニーの複数のパターンを出し切って、将来開発する可能性のあるパターンまでを念頭に置いて議論をスタートしています。特にデザイナーと最終ゴールのイメージまで念入りに議論してから、その仕様を作り始めるようにしています。その分時間はかかりますが、結局そちらの方が近道です。
先ほどのユーザーテストの話にもつながりますが、一度作ってしまうと戻れないので、プロトタイプが大事です。プロトタイプを作る上でも将来の大きな家の設計図を考えていないと、増築に増築を重ねた結果、また壊して建て直さなければいけないのは大変です。もちろん元に戻ってくることもありますが、この方がより早く遠くに行けたんじゃないかって思っています。
PLGに取り組む際に覚悟すべきこと
大鹿:レガシーとなってしまっているプロダクトの開発は非常に重たく、後々クリティカルな問題となりやすいです。PLGでは特に、後戻りが発生しないように意識すべきということを理解しました。
ーー最後に、これからPLGでビジネスにチャレンジされる方に向けて、大山さんの経験を元にメッセージを頂けますでしょうか。
大山:まだまだ結果が出ていないので偉そうなことは言えませんが、一つ言えるとすれば、やはりPLGでの立ち上げには時間がかかるということです。PLGはプロダクトのクオリティが肝で、エンジニアリングやデザインを相当追求して体験設計しなければいけません。ZoomやFigma、Slackといった先行事例を見ても、数年仕込んでようやくリリースしています。まずは機能で既存のサービスにキャッチアップしなければいけないし、さらにその上で気持ちいい体験を設計するには時間もお金もかかります。
Spirは、β版リリースまでに1年半かかりました。もう少し近道ができたと思うものの、最低でも1年はかかると思います。後発の領域であればあるほど難しいですね。従来のSLG型の立ち上がりでは、シンプルなものを作ってまずは仮説検証し、MVPをつくっていきました。PLGはこれと全く異なる大人な戦い方が求められるので、そういうものだと認識して覚悟しておく必要があると思います。
時間がかかる分、ランウェイを確保するためにかなりの額を調達する必要がありますが、1,2年前はシード期のバリュエーションに合意してくれるVCはほぼいませんでした。コンセプトができるかどうか分からない状態の構想を、VCの方に応援してもらうのは難しいと思っていたんです。
しかし今であれば、PLGが本や企画を通じて話題になりましたし、ファーストライトをはじめ、チームやプロダクトの構想を見て出資してくれるVCもいるのではないでしょうか。投資家としてハンズオンで様々なスタートアップを見ているので「やっぱりこのぐらい時間とお金をかけてやらないと駄目だ」という肌感覚もあると思います。現在進行形で、PLGでの立ち上げに取り組むスタートアップの環境は変わってきていると思います。
大鹿:大山さん、ありがとうございました。
日本でのPLGモデルでの挑戦はごくわずかで、今回お伺いしたSpirのこれまでの取り組みのお話は、今後PLGでチャレンジする起業家にとって財産となります。
今回の取材でいただいたお話の中でも、特に、PLGでのビジネスづくりでは以下の3つが重点であり、成長への鍵となると理解しました。
・一貫したカスタマージャーニー上での”気持ちよい”体験の実装
・この体験を核とした成長プロセスの企図と観測
・様々なカスタマージャーニーのパターンを考慮し、全体設計した上での開発
PLGモデルでのサービス開発・展開は、緻密さと時間が求められる長期戦になります。特に、初期の道のりは長く、決して平易なものではないかもしれません。
しかしそこには、情熱をこめて作り出したプロダクトがユーザーを捉え、熱狂させ、さらに海を越えて広がっていく、大きなポテンシャルが存在します。
今回、PLG黎明期である日本にて挑戦する起業家の皆さんに、価値ある情報を届けたい、という思いから、企画・コンテンツ制作を行いました。本稿がPLGスタートアップのプロダクト開発・成長戦略にて一助となれば、幸いです。
ファーストライトでは、皆さんのプロダクトが大きく開花するまでの歩みを、今後も応援してまいります。
大鹿 琢也/Takuya Oshika ファーストライト・キャピタル プリンシパル
青山学院大学 国際政治経済学部卒業。2013年にユーザベースに新卒1期として入社。入社2年目にSPEEDA Customer Loyaltyチームのリーダーを歴任。2014年末から香港に赴任、アジア事業の立ち上げを、岩澤(現ファーストライト代表)と共に推進。2018年から、Head of Asia Customer SuccessとしてCSチームのマネジメント、アジア事業企画・開発などを経験。2021年2月にファーストライトに参画。
編集・撮影:西谷 崇毅 | ファーストライト・キャピタル インターン
2021.11.17
ファーストライト・キャピタルでは、所属するベンチャーキャピタリスト、スペシャリストによる国内外のスタートアップトレンド、実体験にもとづく実践的なコンテンツを定期的に配信しています。コンテンツに関するご質問やベンチャーキャピタリストへのご相談、取材等のご依頼はCONTACTページからご連絡ください。
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